園長の独り言(令和7年6月)
2025.06.01
雲一つ無い五月の青空に春が舞う。陽を浴びた山の緑も縦横に揺れ、丸で笑顔を振り撒(ま)いて周(まわ)りに挨拶している様にも見える。鳶(とび)が上昇気流を掴(つか)み空中に浮遊する自分に酔っているのだろうか? 下界を睥睨(へいげい)する通快と自らの視線の高さ前方に遮(さえぎ)る者の居ない世界と、天に近いある種の征服感に似た満足に酔っているのかも知れない。頭上近くに近付いた時に細長いパンスティックを千切(ちぎ)って投げてやる。地上の獲物を襲う速度は容赦の無い威圧感さえ覚える。空中でもパン屑を操(と)る天恵の妙技とバランスには畏敬(いけい)の念さえ沸(わ)く。
2025.06.01
園長の独り言(令和6年11月)
2024.11.01
今年も暑い夏であった。
子供達は何時も元気だ、遊具で、砂場で、運動場で、笑い声や賑やかな喚声で暑気を彼方(かなた)に飛ばす。制(おさ)えの効かぬ程の熱気は、見て、感じて飽(あ)きぬ、好奇心が数有る落胆に勝(まさ)る瞬間でもある。
親も教師も子等の健(すこ)やかな成長と安全を願うは、今も昔も変らぬ常である。
2300年程前、人の徳を世に問うた人が居た、園児達も馴染(なじみ)となっている。
仁(じん)―惻隠(そくいん)の心…思いやり
義(ぎ)―羞悪(しゅうお)の心…悪を憎む
礼(れい)―辞譲(じじょう)の心…譲(ゆず)り合い
智(ち)―是非(ぜひ)の心…善悪(ぜんあく)を
見分ける智恵
孟子(もうし)の作である
今年の夏も夏以上に暑い子供達であった。

2024.11.01
子供達は何時も元気だ、遊具で、砂場で、運動場で、笑い声や賑やかな喚声で暑気を彼方(かなた)に飛ばす。制(おさ)えの効かぬ程の熱気は、見て、感じて飽(あ)きぬ、好奇心が数有る落胆に勝(まさ)る瞬間でもある。
親も教師も子等の健(すこ)やかな成長と安全を願うは、今も昔も変らぬ常である。
2300年程前、人の徳を世に問うた人が居た、園児達も馴染(なじみ)となっている。
仁(じん)―惻隠(そくいん)の心…思いやり
義(ぎ)―羞悪(しゅうお)の心…悪を憎む
礼(れい)―辞譲(じじょう)の心…譲(ゆず)り合い
智(ち)―是非(ぜひ)の心…善悪(ぜんあく)を
見分ける智恵
孟子(もうし)の作である
今年の夏も夏以上に暑い子供達であった。

園長の独り言(令和6年5月)
2024.05.01
糸山の横に波止浜湾が在り、何社かの造船所が並ぶ、大型のクレーンが高さを競い、所狭しと林立する様は、丸で戦いに向う侍達が剣先を天に突き上げ、正に鬨(とき)の声で鎮(しず)まった朝の清気を目醒めさせんとしている、“堂々の陣容”でもある。 観(み)て飽(あ)きぬ今一つの想像は、大鷲(わし)が獲物を掴(つか)み、自らの威と強さを誇示するが如くに、もたげた頭で周りを睥睨(へいげい)しているのである。
やがて若き兵(つわもの)共の操舵(そうだ)で、世界の“七海八陸”を疾駆し、自らの夢と、今有る若さに挑むのである。
左右に奮迅(ふんじん)したクレーン達も旅立つ我が子の無事と活躍を親の如くに祈るのであろう。
“つわもの共が夢の跡(あと)”と別れを惜しむ一ト刻(とき)とて無く、次を待つ新造に備(そな)えるのである。今治の雄壮な“男景色(おとこげしき)”の一つに四月の朝陽が眩(まぶ)しい。

2024.05.01
やがて若き兵(つわもの)共の操舵(そうだ)で、世界の“七海八陸”を疾駆し、自らの夢と、今有る若さに挑むのである。
左右に奮迅(ふんじん)したクレーン達も旅立つ我が子の無事と活躍を親の如くに祈るのであろう。
“つわもの共が夢の跡(あと)”と別れを惜しむ一ト刻(とき)とて無く、次を待つ新造に備(そな)えるのである。今治の雄壮な“男景色(おとこげしき)”の一つに四月の朝陽が眩(まぶ)しい。

年長児・親子遠足
2024.03.01
2024.03.01
園長の独り言(令和5年12月)
2023.11.24
月曜と金曜に子供達は正座をする。天と地の間に自らを置き、“姿勢を正す” 続いて “心を正す” と5分程の剣道の前に、皆んなで座して声を和する。
天の気を己(おのれ)に通し、丹田(たんでん)で受け、地に送る。
日本の“道文化”(茶道、華道、書道他、武道等)の基本の一つがその正座であろう。重心を地に据(す)え、心を大気に鎮(しず)め、自然を呼吸するのである。“以心伝心”という自然との会話でもある。世に出て未だ3才~5才だ、解らなくて良い、やっている私とて解っている訳では無い。“自分で呼吸しているのだ” と今、在(あ)る現在を慈(いつく)しめば良い。又、人(成人)として、時の流れに“正座した”、“呼吸した”と憶(おも)い出す一瞬が有れば、それも愉(たの)しい事ではないか。正面に座礼の後、児童は立って、竹刀(しない)を正眼(せいがん)に構(かま)え、上段から中段に10本を振り下ろし、“天の気” を縦に切り揃える。次の一本を気合いで束(たば)ね、束ねた大気を己に木霊(こだま)させ、次の10本は跳躍素振(ちょうやくすぶり)しながら11本目の気合で、気を天地に返すのである。

2023.11.24
天の気を己(おのれ)に通し、丹田(たんでん)で受け、地に送る。
日本の“道文化”(茶道、華道、書道他、武道等)の基本の一つがその正座であろう。重心を地に据(す)え、心を大気に鎮(しず)め、自然を呼吸するのである。“以心伝心”という自然との会話でもある。世に出て未だ3才~5才だ、解らなくて良い、やっている私とて解っている訳では無い。“自分で呼吸しているのだ” と今、在(あ)る現在を慈(いつく)しめば良い。又、人(成人)として、時の流れに“正座した”、“呼吸した”と憶(おも)い出す一瞬が有れば、それも愉(たの)しい事ではないか。正面に座礼の後、児童は立って、竹刀(しない)を正眼(せいがん)に構(かま)え、上段から中段に10本を振り下ろし、“天の気” を縦に切り揃える。次の一本を気合いで束(たば)ね、束ねた大気を己に木霊(こだま)させ、次の10本は跳躍素振(ちょうやくすぶり)しながら11本目の気合で、気を天地に返すのである。



